2012年01月12日
カジノが足踏みしているので回顧録のようなもの
石原都知事が、2002年10月都庁でカジノ構想をぶち上げて10年がたった。
ドイツのバーデン・バーデンのカジノの雰囲気が忘れられず、日本にカジノが出来るならバーデン・バーデンタイプと、以来旗を振り続けて10年。
偉い議員さん達に、毎年のように次期国会に法案を提出する予定。と言われ続けて10年。
この間に、鳴門にカジノが誘致出来たらお国自慢と、たまたま見つけた阿波の古代史を勉強してから10年。
以前『写楽』について日本病跡学会で発表したとき、写楽はすでに池田満寿夫氏や梅原猛氏など推理好きの餌食になっていた。
梅原氏は『事象そのもに語らしめよ。それが哲学である。』そして阿波・徳島の東洲斎写楽に対して『阿波の殿様がどんなに寛容であっても・・・・。所詮田舎者にすぎない阿波の能役者が写楽のように江戸の役者の姿かたちに、・・・見事に表現しうるとは考えられないのである』
(芸術新潮11月1984年)
まずこのときの阿波の殿様重喜公は文化人大好き殿様で金は充分にあった。
阿波の江戸屋敷詰めであれば芝居は見放題であった。
しかも梅原氏は、写楽特定に豊国をあげ推論しているが、初代豊国と3代豊国の作品を一緒に論じて写楽特定作業をしてしまっていた。事象そのものに語らしめることなく・・・。
病跡学会でこの点を指摘したがどこからも反響がなかった。
さて阿波の古代史を調べるとき「淡海」という場所が出て来る。
この「淡海」を『近江』にしてさらに琵琶湖で鯨が捕れるのはさすがにおかしいと思うのか、「鯨魚取り 淡海の海を沖放けて 漕ぎ来る舟辺付くきて・・・・」(天智天皇の后ー万葉集2-153)
勇魚取り(鯨取り)を枕詞と勝手に解釈して『琵琶湖を修飾するのに使われている。「鯨だって捕れるほど立派な琵琶湖」と国学者の中西進氏がのたまわっている。しかも、河井隼雄氏・山田慶兒氏・中西進氏の対談集を出しその表題が「むかし琵琶湖で鯨が捕れた」という題である。
表題だけでアマゾンに注文して読んでみると鯨に関しての記事はたったの3行しか書いていない。
そして琵琶湖の枕詞とのたまわっている。
鯨捕りの枕詞が、波・海・灘であることを知らないのか。このバカが・・。と言いたくなる。
偉い先生がのたまわった事に対して、編集者も何もチェック出来づにフリーパスなのだろう。
鳴門にカジノが出来ると邪馬台国に一石を投じて論争に加わるのでお楽しみに。
国外からの観光客に邪馬台国の道案内をして老後のほら吹き爺さんで余生を送るつもりである。